点と点

読書録&にっき

読書歴①

 

 

 

国際情勢の「なぜ」に答える! 地政学入門

国際情勢の「なぜ」に答える! 地政学入門

 

 

 

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

 

 

 

国際政治―恐怖と希望 (中公新書 (108))

国際政治―恐怖と希望 (中公新書 (108))

 

 こんな感じで読んでいきました。

実は、『イスラームから世界を見る』のあとに、ジョセフ·ナイの『国際紛争』にトライしたのですがさっぱり頭に入ってこない、という状況…。

その原因を歴史に関する知識不足かなあと思い、地政学をやってみようということになりました。

最初に読んだのは『地政学のきほん』です。

図がたくさんで今さら人には聞けないような基本的な内容が書いてあります。が、私でも知っていることが多くてちょっぴり退屈だった。ただ、後半にいくにつれて知らないことも出てきました。とくに、中東関連、地図と共に読み進めていくのは有効でした。

次に、『地政学入門』をよ見ました。村山秀太郎先生という、大学受験塾講師で受験サプリの世界史講師。名前は知っていました。僕は村山先生の世界史の文章は大好きになりました。笑 先生は何かと渋いかっこよさを漂わせる方で。なんとなく、縦書きの方が似合っていてこちらとしても読みやすかったです。『地政学のきほん』よりは難易度は高いですが、読みやすいです。

ただし、『イスラームから世界を見る』のあとに読むと、シリアのイスラーム事情に対して安易な分析をしていると捉えることのできる箇所もあります。

その後、もっと効率的に読書、また読書による情報収集ができないものかと考え、方法論を学ぶために『読書力』を読みました。齊藤先生の文章、読みやすい。メディア出演を多くされているので人物イメージは持っていましたがかなり刺激的な表現もされる面白い方です。実は金欠なのでこの三冊は図書館から借りてきている本なのですが、先生いわく、買えと。必要投資だと。そうなんだけどおおおお、ってなりながら読んでいました。財政再建頑張ります。

そして一番最後に、日本国際政治学の必読書、古典的名著『国際政治』です。読む前から、古典ながらいまもなお役に立つ的な、評価を多々目にしてきました。うそやろー、とか思いながら読みましたが本当でした。笑 解決策を与えるというより、国際問題にはどのような問題があって、どのようにその問題は発生されたかを新書の形でコンパクトにまとめています。

 

元外務省官僚で作家の佐藤優先生いわく、学生は月10冊、最低でも7冊読めとのこと。小説などの娯楽を除いた上で。小説の取り扱いについては議論のあるところだとは思いますが、とにもかくにも月7冊は目指していきたいと思っています。

11月10日現在、五冊読了です。

いままでの読書不足を補うように狂ったように読んでいます。笑 読書にここまで、というのはなくていくらよんでも新しい発見があって…。楽しい。同じ本をまた読むというのも大事にしていきたいと思います。

『イスラームから世界を見る』

今回は、前回の本と並行して読んでいた『イスラームから世界を見る』内藤正典(ちくまプリマ―新書)です。

 

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

 

 

 

ちくまプリマ―新書は、「プリマー(primer)が「初歩読本、入門書」を意味する通り、ヤングアダルトを対象とした新書である。」(ヤングアダルトとは、20歳から40歳に当たるそうです)という意味からも分かるように大人の教養書といったところでしょうか。ちくま新書と姉妹本で創刊数は少ないですが(私の感覚です)、装丁がとても私の好みなのでちょくちょく手に取ります。(買うとは言ってない)

世界を見る、と題していますが地理的な舞台の大半はイスラーム世界若しくは、その周辺国との関係を中心に論じています。ただし、この話をするうえでイギリスやフランスなど帝国主義国の登場は当然あります。

第一章は、読み出しには最適、一般的なイスラームに対する見方に対して本当はこうなのだよ、ということを教えてくれる内容です。例えば、「ジハード(聖戦)」についていえば、「信徒が命の危機に瀕していると考えれば、戦いによって信徒を守れと神が命じていること」と説明されています。さらに、イスラームが暴力的であることを明確に否定しています。理由なき殺人については厳格な規定があること、またムハンマドがそうであったようにイスラームは商人の宗教であるということなどイスラームの平和的性質と、「キリスト教そのものは、平和と愛を説き、イエス自身も徹底して非暴力の精神で、十字架に掛けられて殺され」たにも関わらず、「キリスト教徒は延々と戦争と暴虐を繰り返して」きたことなど、イスラームに対して否定的な立場のキリスト教徒に対する批判を根拠としています。キリスト教徒への批判も辛辣なところがありますが、教義を守らないイスラームに対しても所々で批判を展開しているあたりは、白黒はっきりさせるというより現状のイスラームに関する諸問題がより複合的であることを示しています。

第二章では、「イスラームの世界地図」と題し、イスラームの歴史を誕生から現代まで論じています。ここでは、ヨーロッパ的な見方がイスラームの考え方とは合わないことを折に触れて紹介しています。

第三章では、アラブの春、第四章ではイスラームと民主主義を扱います。我々日本人もアラブの春をなんとなく肯定的に見る人々が多いのではないでしょうか。少なくとも、私はそうでした。偏見にまみれた自身の考え方を基に、これからはより開かれた平等な社会が浸透するだろうなんて思っていました。どこかの本で読んだのは、民主化の第三の波なんて言われていました。しかし、実態はそうでもない、というのが筆者の主張です。何も彼らが行った民主主義が間違った(ヨーロッパのものと違う)と言っているわけではありません。ヨーロッパの政教分離に代表される民主主義がイスラームの浸透した地域には合わないということです。そもそも、イスラームは法的項目を設けていて、その順守をムスリムイスラーム信徒のこと)に求めている以上、政治がイスラームを離れて独自に犯罪を規定する法律を作ること自体が神に反抗することになりうるのです。これは極端な例ですが、我々が常識とも考えている政教分離でさえ、イスラームの浸透した地域では適合しえないということのようです。ただし、イスラーム流の民主主義を目指すべきとも主張しています。

第五章では、世俗主義国家とイスラーム国家について述べています。世俗主義国家は、ざっくりいえば宗教と運営を切り離した国家と言えます。もっとも顕著な国が、フランスです。政治のみならず、服装についても公衆の前に晒される場合は宗教的服装には罰則規定が設けられています。(そう言った中でフランス国籍のムスリムはなかなか順応できてきていないとも書かれています。)第三、第四章でヨーロッパ式の民主主義がイスラームの浸透した地域では合わないと書きました。ここではトルコが世俗主義的な民主主義を実施した後、イスラーム的な民主主義を成立させた国として紹介されています。トルコの歴史的な展開を探ることでイスラーム的な民主主義とは何かという具体的な形が見えてきます。

第六章は、アメリカとアフガンのタリバンとの関係、第七章はヨーロッパとイスラームの関係を扱います。ウサマ・ヴィンラディンをかくまうアフガニスタンの論理が、パシュトゥン・ワリという日本語でいう仁義に似たような考えで行われたこと、タリバンは広い目で見るとアメリカが生み出した組織であり、またアフガニスタンの現在の混乱もアメリカによるものであることが事実の羅列と共に解説されています。ヨーロッパとの関係では、ヨーロッパに住んでいるムスリムの立場について、アルメニア問題について述べられています。私自身がアルメニア問題については全く知らなかったですが問題の経緯もかなり理解できました。

 

イスラームに対する理解不足・理解しようとする意欲不足が今の問題を生んでいるのではないか、というのが本を読み終えた段階で私の認識です。西欧の民族主義、民主主義が自分たちに適合しているからそれは正しいものでどこでも利用可能であるという認識がどこかにあるのかもしれません。そもそも、日本にも西欧式の民主主義導入の反動は来ているはずです。導入のために、アメリカのソフトパワーに屈し、日本文化が少しずつなくなってしまうことは一つの反動としてもよいのではないでしょうか。私たちは人間の多様性を論じる一方でどこか中途半端なところでその考え方の利用を辞めてしまっているのかもしれません。殊、宗教については。日本人のように神を持たない人々の方が特殊であるということを認識し、グローバル展開を標榜する日本人である以上他国・他者の考え方の基盤に触れてみるのは必要なことでしょう。

『手紙屋』

 今回は神野さんが紹介してくださった『手紙屋』(喜多川泰)を読みました。

「手紙屋」

「手紙屋」

 


前回の『下町ロケット』もそうですが、新書・法律書・自己啓発を普段読んでいるので小説のような平易な語り口ですいすい読み進める本に対してある種、感動のようなものを覚えます。
下町ロケット』と同じ、と書いたものの『手紙屋』は自己啓発本と言っていいと思います。平易な語り口で自己啓発本に何かしらの壁を作っている人、感じている人には最適ではないかと思います。
就職活動に出遅れた主人公が、書斎を提供するお店で出会った手紙屋の広告に出会います。最初の一つめは無料(それ以降は有料)なので試しに手紙を出してみるところから始まります。(あくまで手紙屋がビジネスであるという前提のため)10通までという制約のもとで、主人公の考え方がどんどん変化していきます。
本全体の七割は手紙の内容です。内容以前に、手紙屋の手紙のフォント、主人公の手紙のフォント、手紙のやり取り以外を書いたフォントがそれぞれ違っているところ、それに加えフォントのチョイスがなにより素晴らしい。手紙屋のフォントは、落ち着き、ゆっくりとしたイメージを抱かせます。主人公のフォントは、若々しくいきいき、何か幼さも感じさせるフォントでした。なにか専門家でもないので僕の主観ですが。フォントを変えている本が珍しいとは思いませんが、文字の書き方がよりストーリーの中に入るための一助となりました。
内容について一つ感動したことがあります。出会った人のすべてを味方にする方法です。それは、「相手に称号を与えること」。たとえば、「あなたは絶対に約束を守る人」。そういわれると人はその「称号」に見合ったような行動をするようになると書いてありました。一瞬、人操術か?と思いもしました。「あなたの能力は、今日のあなたの行動によって、開花されるのを待っています」「人生は思いどおりにいく」という言葉からもわかるように、人にはすべてのセンスが備わっていてそれをどのように引き出すかということに重点を置いた考え方のようです。世の中ではセンスがある人が活躍していると何となく感じていたのですが、称号を与えられると頑張ってそれを実現してしまうという人間の行動を理解できてしまった以上、センスは誰にでも備わっていると考え方を改めざるを得ませんでした。まあ、ある意味人操術なのかも知れませんが。心構えについては、「主観」が重要であると主張していると読み取りました。これはアドラーの主張にも通じるものです。「人はみな主観的世界の住民である」『嫌われる勇気』(岸見一郎)の一節に出てくる言葉を所々思い返す場面がありました。手紙屋のいう「ピンチはチャンス、チャンスはピンチ」擦られた表現ですが、やっとこの表現が人間の捉え方によってその出来事がどのような意味を持つのか変わる、ということを伝えようとしていると理解できました。また、企業の選び方(決して方法論的なものではなく)や、具体的目標を建てる意義などに関しても言及されています。
よく、自己啓発本に書いてあることはどれもほとんど同じ、なんてことを聞きます。ある意味真理でしょう。(すなわちそれは、成功した人々にはある法則が働いていることを意味するとも言えると思います。)ただ、同じことだとしてもそれを違う人の、違う表現で読むことには意味があるのだと思います。殊更に、『手紙屋』のように分かりやすく親しみやすいストーリー展開は、主人公に自己投影することによって書いてある内容をより実現しやすくなるのでは、と思います。
三時間程で読めてしまう、本です。迷った時、背中を押してほしいとき、とても参考になる本だと思います。神野さんありがとうございました。

『下町ロケット』

 

下町ロケット (小学館文庫)

下町ロケット (小学館文庫)

 

 

昨日の23時ごろから『下町ロケット』(池井戸潤)を読み始め、 今日の午前中までに読んでしまいました。

作者の池井戸潤氏はTBSで放送されていた『半沢直樹』 の作者で直木賞作家、ぐらいにしか知りませんでした。 元銀行員であるところも作品に出てきていますね。 生まれは岐阜県慶應義塾卒だそうです。とっても優秀…。 いわゆる脱サラした作家さん。

肝心の中身ですが、主人公の佃と佃率いる佃製作所VS大企業とい う構図で基本的に進んでいました。 最初は同業他社との特許侵害に関する法廷での争い、 佃製作所の技術を大企業に対して特許使用契約か特許を売却かを争 う体内対外的葛藤という感じでしょうか。 主人公は佃製作所の二代目社長で研究者をしていた経歴があります 。この点が先の対立に大きな影響を及ぼします。

 素人目、展開に程よいスピード感があってすいすい読めました。 問題発生→苦悩→ 解決がいい意味で単純明瞭で非常にわかりやすかったです。 僕はめったに小説を読みませんが、登場人物が文字の情報( それも多くは名字だけの表記) のみに限られていて読んでいる途中に誰が誰だかわからなくなるた めです。しかし、本作はそういったことはほとんどなかったです。 それも単純明瞭な展開のためでしょう、 その問題の当事者が非常にわかりやすく描かれていました。また、 多くの登場人物をよりうまく表現した作者の技術によるところも大 いにあると思います(僕の理解力の問題もあり)

 ただ一つ気になった点は、 心情変化があまり描かれていないところです。 事実の因果関係的には、心情の変化には納得できますが、 具体的な心の変化、 心の声は主人公の佃しかほとんど表現されていませんでした。「 あーこの展開はこの人が味方になるのだろうな。 どう描かれるだろう。」 と思ったら特に心理的プロセスを描くことなく、 心情変化をするための事実の表現で成立させていました。 これに関しては、 いいか悪いかって素人にはわかりませんが僕は好きです。 より因果関係が明瞭になるし、 なおかつ描かれない部分については読む側の想像力に任せるという のは素敵だと思います。特に後者については、 ドラゴンクエストを代表として多くのゲーム作品が主人公に一切言 葉を発しないように作られている点に共通項を見出しました。

 よく文学において「行間を読む」なんて表現がありますが、 できねーよなんて思っていた自分は、 こういう理路整然とした事実の展開でわくわくできる作品は、 読んでいて楽しいし少なくとも、内容がわかった気になれます。笑

おすすめいただいたようによい作品である意味、 僕に合っているという指摘は的を射ているような気がします。

書評じみたことを書いているのは、読んだうえで何か+ αで生産をしたいという意思からです。 あくまで個人的見解なので当てにしないで下さい。笑
 

『こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した』

 最近なにも夜に予定がなければ九時半から十時には寝る生活なので、今日は朝四時くらいに自然に目が覚めました。

こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した

こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した

 

 

せっかくなので本棚からなんとなくこの本を手に取り読みました。

期間:二時間半くらい(だらだらコーヒー飲みながら、携帯を触りながら読んでいたので)

確か、ブックオフで100円くらいになっていたので買いました。

地雷撤去から子ども兵の問題などを対象としたNGO組織テラ・ルネッサンス(テラはラテン語で地球、ルネッサンスは英語で復興、再生)を学生時代から立ち上げた著者の半伝記、半自己啓発のような印象。

印象に残った言葉は、

「本当にやりたいことに明確な目的はない」

という言葉でした。

多くの支援者を巻き込み組織をう誤解している著者自身が、「いまだに、この活動をなんのためにやっているのか、自分自身でもよくわかっていない。カンボジアの地雷原を音連れたことなどの物理的なきっかけは話すことができるのだが、活動を始め、そして続けている動機がよくわからない。」

 

著者はわかりやすいたとえとして、

「たとえば、本気で好きになった人がいるとする。その人をなぜ好きになったのか。事柄的なきっかけはあったとはいえ(中略)、そんな部分的な理由で『本気で好き』という自らの感情を規定できるのだろうか」

と述べています。

 

 

たしかに人を好きになるときにあれがいい「から」といって明確な目的をもっていた覚えはない。

たしかに小学校の休憩時間にドッチボールをやりたい気持ちに明確な目的はなかったような気がする。

今までは、やりたいことを探すって言っても、なにか自分を行動に駆り立てる義務感みたいなものを生むものを探していたけど、なんとなく回りくどいことをしていたな、と。義務感を生むような大量の情報に囲まれて情報一つ一つに感じる重要性みたいなものを感じることができなくなっていました。

この本には、僕たちにとって当たり前のことが当たり前ではない人々の様子もたくさん書かれていて、なにか心の中でくすぶるものが生まれたような気がしました。